長く続いた忌々しきお腹の痛みにも解放され、心身ともに身軽になった僕は、
その足でとあるうどん屋の前に立っていた。
ごくり・・・お腹の痛みはおさまった。そしてようやく入れるんだ。
これから始めることを想像すれば自然と震えが止まらない。
一見何の変哲もないうどん屋。が、ひとたび暖簾をくぐれば、
そこには男たちの血で血を洗う醜き戦いが待ち構えている。
思えばここに来るまでの道のりは本当に長かった。
一年。実に一年もの間このうどん屋へは入ることすら許されなかった。
私がこの店に興味を持ったのが実に一年も前。
自分はこれでもうどん好きなので、近所のうどん屋はほぼ制圧、
近づくものは皆蹴散らし、対抗勢力を抑え、幾度もの絶体絶命を乗り越えて、
ようやくほぼうどん業界を掌握した、・・・はずだった。
「近所にすじ肉を使ってるおいしいうどん屋があるらしいよ」
母の言葉である。知らない、すじ肉?近所に?私はそんな店知らない。
不覚。まさかの見落とし。私が踏み入れたことのないうどん屋がまだあったとは。
私は母さんに誓った。もう二度とヘマはやらかさない。
だからそのうどん屋、そこだけは、もう一度私にチャンスをくれ。
そう決意して早一年。みなさんお元気のことでしょうか。
違う、違うんだ。最善は尽くした。しかしこの店には着け入る隙というものが皆無であり、何者をも通さない圧倒的気迫、それがこの店からは滲み出ていた。勝てない、最初から無理だったんだこの店でうどんを食べようだなんて考えは・・・!
つまるところそれもこれもこのうどん屋の奇異な営業体制のせいだ。
開店は正確にはわからないが、確実に日が昇り始める前にはもう開店している。
それはいいのだが問題は閉店時間、10時。
夜ではない朝の10時閉店。いや、これも正確ではない。一度、休日を利用して朝の9時に店へ訪れた。
開いていたのは開いていたが肉うどんは既に売り切れていた。
この店ではすじ肉うどんを食べたものこそが勝者となれる。
私は・・・闘わずして敗北を喫したのだ。
(何も頼まず去る、これが敗者の定め。そして迷惑な客への昇格)
何度!何度この店に煮え湯を飲まされたことか。
先ほどはさらっと閉店は10時だなんていったが、
これを突き止めるのにはとんでもなく膨大な月日を要した。
昼に学校が終わった日や、部活が午前で終わった日なんかは、
寄り道も自慰もテロも起さず真っ先にこの店へと向かう日々が続いた。
12時ジャスト、だめだ閉まってる・・・。
11時、あ、開いてる?だめだもう店じまいだと追い返された。
そして執念で閉店する時間を突き止めた、それが10時。
正確には、母さんからそう教えてもらった。ある日サラリと言われた。
「あそこの店10時に閉まるってよ〜早いわよね〜」僕は泣いた。
そして自分の考えが根本から間違っていたことに気づかされる。
あの店に「昼飯」を食べにいこうとするから駄目なんだ。
朝ご飯。そう、朝ご飯代わりにあの店を利用する、それしかもう道はなかった。
リスクは伴う。貧乏が代名詞、いわゆるキモオタヒッキー貧乏である私にとって、
朝から店で飯を済ませるというのは相当の痛手。悩んだ末の決断だった。
母さん、みんな、ときどきオトン・・・、見ててくれ俺の勇姿を。
私は腹を括って暖簾をくぐった。
「へい、いらっしゃいませ〜」
活気良い声が奥から飛んでくる。席に着いているのはどいつもこいつも
年季の入ったオヤジ達ばかり。だめだ気押されたら負けだ。
私がおどおどしていると後から入った客の声が飛ぶ。
「肉うどん(サイズ)小、ネギ多め、麺柔め。それとごはん」
なんというやつだ、私にもすぐに理解できた。こいつは・・・できる。
だが、ここはセオリーどおりに肉うどん中を頼め、周りに惑わされるな、いけ自分。
「肉ごぼう天うどん、中ね」
またしても後ろに越されてしまった。いや問題はそこじゃない。
こんなことが・・・こんなことがあるのか・・・。この男何者なんだ。
なぜなら肉ごぼう天うどんなんて
メニューには存在していなかった。裏メニュー・・・魅惑の響きが頭をよぎる。だめだ平静を保つんだ。
「俺、肉ごぼう天うどん、、大盛りの」
やっぱり裏メニューっしょ。普通に考えて。
客の視線がいっせいに集まった。どいつも「なんだこの若造・・・」そんな視線。
苦痛、耐えがたい、一刻も早く抜け出したい、でももっと見て。
そんな中、運ばれてきた肉ごぼう天うどんはとても美味しそうであった。
が、それ以上に量が半端なかった。
それで、さっきは皆驚いてたのか、いそいそと箸をつける。
正直、昼ならなんとかなったかもしれない。いや多分余裕だった。
だが今は朝、半分くらいでもうお腹は膨れ上がっていた。
しかし依然として店内の空気は冷たい。だめ、ここで根をあげたら何かが終わる。
必死で食べた。限界はとうに超えていた。
そしてスープも全て飲み干した時、店はようやく私を受け入れてくれたかの如く、
平穏を取り戻していた。そうここは、この殺伐とした雰囲気こそがスタンダード。
私は一人の客として認められたのだ。
色々な満腹感を溜め込んで悠々と店を出た。
なんだろう、このやり遂げた感は。久しく忘れていたこの感覚。
気分は最高だった。
帰りの道中も足取りは軽い。いやあ食べた、食べた。
きっと最後のスープの飲みすぎであろう、お腹はチャプチャプいっていた。
腸が悲鳴をあげ、急いでトイレへ駆け込んだ。下痢、痛みは治まらない。
もうひとつの忘れていた感覚が呼び起された瞬間であった。
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